逃亡日記。

散歩と映画と本がすきだ。

日記「空気には味がある」

2024年6月12日 水曜日 日記

 なにか思いつくままにかいてみようと思った。なにを話そう。さっきまではてなブログやnoteなどを斜め読みして、面白い記事がないか探していた。

 しかし、わたしも含めて、素人の書いた文章は面白くない。わたしの17人いる読者もほとんどがわたしの文章を読んでいない。面白くないしね。だったら、読者になんかなるなよ、インプレゾンビども。この文章はただ自己満足をしているだけ。しかし、すこしは感動させられるようなものを、ハッとさせられるようなものを書いてみたいなんて思っている。

 それにしても、なぜ文章を書きたいのだろう。だれかと思いを共有したい、というのは否定したい。しかし、少なからずあるとは思う。しかし、共有したり、繋がったりすることはめんどくさいことでもある。それでも誰かに向けて、顔のみえないだれかに向けて書いている。

 わたしの生まれた土地は、寂れた観光地だった。大きな湖があった。海と錯覚してしまうような綺麗に輝く水面をもつ湖だ。その湖からすこし内陸に入った場所にわたしの生家はある。家の裏手には、山の頂上へと続く道があった。山には峰に沿って送電線があって、その点検をするための道だった。その道の途中には、ため池があり、農業用水として使っていた。そして、さらに上へ進めば、いまは使われていない水道を管理する小屋があった。

 わたしたち、村のこどもたちはその道を登り、鬼ごっこや缶蹴りなどをしたものだった。クマよけだと言って、大きな声でクラスメイトの悪口を言いながら、山道を登った。家にいることよりも山で遊ぶことのほうが多い幼少期だった。

 そして、わたしたちは、村のなかを探索する。凶暴な犬猫、猪やハクビシンなどが、わたしたちの前に現れたりしたことを覚えている。だが、もうみんな、村の中を探検した仲間たちは都会に行って、若者はほとんどいない。村には年寄りばかりがいつまでもいつまでも取り残されている。

 村社会というのは、ほんというに嫌なところしかない。自然豊かな土地であり、そこはとても気に入っている故郷だが、村社会の気持ち悪さには、うんざりさせられる。相互監視の気持ち悪さ。話のネタは人の噂。気持ちが悪くて吐き気がする。美しい森、美しい湖があっても、人が美しいわけではない。ゲジゲジのような人間が村に取り残されている。

 わたしは、そこから抜け出し、今は地方都市で暮らす。ビル、マンション、アスファルト。自然とは程遠い。ときたま、恋しくなる。あの空気の味が。たまに故郷に帰れば、いちばん違うのは空気だ。冬は研ぎ澄まされたキレのある空気。春は甘い。空気に味があると思う。都会の空気とは違うのだ。それが、ときに猛烈に懐かしくなる。恋しくなる。そして、それを思い返して、この文章を書いている。